こちらは東日本大震災復興支援・チャリティ小説同人誌『文芸あねもね』公式ブログです。
最新情報や執筆者&内容紹介など随時更新しています。
「女による女のためのR-18文学賞」過去受賞者(+α)で
「少しでも東日本大震災被災者の力になれれば」と話し合った結果、同人誌をつくることになりました。
2011年7月15日より2012年2月24日まで、電子書籍サイト・パブーにて電子書籍版を販売、
その後紙の書籍として新潮文庫に入る運びとなりました。
現在、朗読プロジェクト「文芸あねもねR」も進行中!
【執筆者一覧】
彩瀬まる・豊島ミホ・蛭田亜紗子・三日月拓・南綾子・宮木あや子
山内マリコ・山本文緒・柚木麻子・吉川トリコ(五十音順/敬称略)
■イラストレーション/さやか ■デザイン/山口由美子
※参加者の詳細は「プロフィール欄」をお読みください。
※この企画の成り立ちについては「はじめに」をお読みください。
Page: 1/1
山本文緒『なぎさ』クロスレビューその2 彩瀬まる
2013.11.14 Thursday | category:あねもね作家の新刊紹介
こんにちは、彩瀬です。
久しぶりに書かせて頂くなあと、なんとなく右のカテゴリー欄の「はじめに」をクリックしたところ、このブログの第一号の書き込みとなった「最初のごあいさつ&企画内容のご紹介」のページが表示されて、その投稿日時に驚きました。2011年の4月24日。もうこのあねもねブログの開設から二年半もの歳月が流れたのですね。
この文章を読んでいる方の中には、開設当時からお付き合い下さっているお客様もいらっしゃるのでしょうか。いつもありがとうございます!
電子書籍、文庫化、さらには声優さんの朗読企画「文芸あねもねR」(現在は「真智の火のゆくえ」の収録が佳境を迎えています!)と、これからも文芸あねもねは続いて参ります。
さて、本日は文芸あねもね執筆陣の親鳥、山本文緒先生の新刊『なぎさ』をご紹介に上がりました。
『恋愛中毒』以来、十五年ぶりの長編。神奈川県南部に位置するのどかな海辺の町、久里浜を舞台にした、足もとの危うい大人たちの物語です。
冷たい波に呑まれていく登場人物たちの行く末が気になって、恐ろしくて、本を閉じることが出来ずに夜明けまで読み続け、一気に読了しました。
正直に書きます。
初めて帯に綴られた「夫婦」「元芸人」「ブラック企業」「姉妹でカフェを経営」「恋人以外の女性と関係を持つ」といった数々を言葉を眺めた時、ぴんと来ませんでした。この小説が何を語ることに焦点を当てているのか、よく分からなかった。なんとなく「仲良し姉妹でカフェを経営し、それでブラック企業とかそういった問題が解決されていく話?」と想像したものの、そういう話を『恋愛中毒』の山本文緒さんが書くとは思えなかった。
けれど全てのページを読み終えて本を閉じた後、しみじみと「この本の担当さんは帯を作るのに苦労しただろうなあ」と思いました。
複雑で要素の多い物語です。日々生きて働いて煮炊きをしている人たちの、ある混迷の一時期をそのまま切り取り、もぐりこんで、当事者として内部を這い進んでいくような気持ちにさせます。濃く煮出された生活の風景には「夫婦」も「元芸人」も「ブラック企業」も、「姉妹でカフェを経営」も確かにあります。けれど、主題はおそらくそれじゃない。
読んでいる間、ひたすら見えないものが押し寄せて来るような感覚に囚われていました。快も不快もない、大きな波です。それはなんだろうとずっと考えて、物語の後半でふと、「この登場人物がこの世をどんなものだと思っているか」が圧倒的なリアリティを伴って迫ってくるのだと気づきました。
自信のない主婦の冬乃が、何をやっても中途半端な川崎くんが、物語のキーパーソンの一人であるモリが、自分とはこういうもので、こんな風に世の中に許されて、このくらいの幸福をこの世から与えられる権利があるはずだ、と信じている感覚が、これという言葉で明言されるわけではなく、でも「夫婦」や「ブラック企業」や「カフェ経営」の間から波のように押し寄せてくるのです。
これは生きている人間なら当たり前に持っている人生への期待であり、思考の殻です。褒めるものでも責めるものでもなく、この物語でもそれについて善悪をつけることはありません。けれどその思考の殻、方向性、無意識に認識を拒む一瞬が、語り手や、語り手と心を繋げる人を冷たい沖へと押し流していきます。ページをめくりながら、これは私の日常でも繰り返し起こっていることだ、と強く感じました。私もこんな風に思考を止め、人を見捨て、甘い夢を見たことがある、と。細やかなエピソードの一つ一つが覚えのある感情をまとっていて、たまらなかったです。
なぜ大切な人を助けられないのだろう。なぜ自分を守れないのだろう。なぜ分からないのだろう。なぜ思い合えないのだろう。日常のふとした瞬間に目の前を覆うまっ暗な幕が、物語が進むにつれて少しずつ、少しずつ、剥がされていきます。
一人、笑んだまま、無言のまま、恐ろしいほど遠くまで流されてしまった登場人物に訪れた結末と、一人と一人が二人になる瞬間に、味わったことのない涙があふれました。
ぜひ、今の自分の周囲がまっ暗だと思う方々に読んで頂きたいです。
以上、彩瀬によるなぎさレビューでした!
読み直すたびに語り手以外の登場人物の心情を新たに発見したり、感情移入する先が変わったりと、繰り返し何度も読みたくなる物語です。この内容とボリューム、装幀で千六百円はお得すぎます!
家でしっとりと読書をしたくなるこの季節、ぜひ一家に一冊、なぎさをお買い求め下さいませ。
それでは次のレビュアーさんへバトンタッチいたします。ターッチ☆
山本文緒『なぎさ』クロスレビューその1 豊島ミホ
2013.11.01 Friday | category:あねもね作家の新刊紹介
こんにちは。豊島ミホです。
本日はあねもねメンバーの新刊のお知らせにやってまいりました。
この新刊紹介もブログ開始から2年以上、なんだかんだと続けてまいりましたが、
実はこの間、新刊を出していなかったメンバーがひとりいたのです。
それは……そう、山本文緒先生!
小説の新刊は、中編集の『アカペラ』以来5年ぶり
(コバルト時代の作品を改題&加筆修正した『カウントダウン』を除くと)。
新作長編小説としては、なんと15年ぶり!!
という、待望されまくりの『なぎさ』が、
10月22日に角川書店からリリースされました。
この新刊をあねもねブログでプッシュしないわけにはゆくまい……
ということで、山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』に続き、
メンバー内の数人でクロスレビューをさせていただくことになりました!
ちなみにふみおせんせいには無断です! 超〜無許可です!
無許可ですが、1番手豊島、まいります☆
*
今の日本だ。
と、どの辺から思っていただろう。単行本の『なぎさ』を読み進めていくうち、かなり序盤のほうでそう思った気がする。
私は実はこの連載の前半を、掲載誌「野性時代」で読んでいた。色々考え過ぎでナイーブで、もさっとした感じの30代主婦・冬乃と、リアルに若くてあほな(脳みそのしわが少なそうな)20代サラリーマンの川崎、ふたりの語りで進んでいく連載小説は、不穏な兆しはあるものの、わりにゆったりとした物語で、読むのに気合は要らなかった(もちろんいい意味で)。「野性時代」が届いて最初にすっと読んでしまうこともあれば、今すぐには読まなそうだからと、その部分だけページを切って残しておくこともあった。切り取った1回分の話は、時間が取れた時に読んだ。決して、先を急いて求めてしまうタイプの物語ではなかったし、山本先生がこれで何を描こうとしているのかも、すぐにはわからなかった。1回ごとに、緻密に描かれた久里浜という海辺の街に、旅するような感覚で読んでいた。
序盤、物語は日常のレールを外れない。冬乃は求職しようと思いながらもできずにいる主婦で(なにしろ本音が「ほどほどに働きたい」)夫のほか、夫の会社の若き後輩にまでふたり分の弁当を毎日つくっている。その「後輩」が、川崎。川崎は恋人と結婚するためにお笑い芸人の道を諦め、まともな会社に就職したはずなのだが、その会社は出社してもやることがなく、先輩の佐々井の釣り(堤防で糸を垂らしてやる本当の「釣り」)に付き合わされる日々。冬乃の妹で、元・結構売れた漫画家の菫が、突然夫婦の暮らすマンションに転がり込んできて、「この街でカフェをやろう!」と言い出すことである程度の展開はあるが、なにかとてもびっくりするようなことは起こらない。川崎視点の物語では、ある日急に仕事上の暗転がある。営業所長が謎の金持ちの前で土下座するのに付き合わされたことをきっかけに、理不尽な量と質の職務に身を削るはめになるのだ。ブラック企業の描写がやたらにリアルで寒気はしたが、それでもこの後そんなにひどいことにはならないだろう、という気持ちが何故かあった。
そんなにひどいことをこの人は描かないだろう。と思っていたのかもしれない。
小さなことをするかしないかの逡巡。心のひだ。人間関係のきしみと、淡い交差。
それが「山本文緒」という作家の描くもので、この小説も例外ではないだろうと、何の根拠もなく思っていたのだ。多分。
連載についていく気はあったのだが、私は「文芸あねもね」の文庫化辺りを境目に急速に文芸の世界から遠くなり、送っていただく小説雑誌の目次に目を通すのがなんとなくおっくうになってきた。どの雑誌も作家が入れ替わり、私が書いていた頃よく見た名前を見なくなったからだ。新しい作家の名前を憶えるような熱意もなかった。そんな中でも「なぎさ」のページを切り取ることはやめなかったが、未読の回がA5のファイルに溜まっていった。時間が取れたら、と思っているうちに最終回が来て、単行本の刊行も山本先生のツイッターで告知され、「もう単行本で読もう」と思った。その時もまだ、私の頭の中の「なぎさ」の全体想像図は、当然ながら変わっていなかった。
なぎさはまるで、水たまりの淵みたいな、ちいさいかわいいなぎさだった。
しかしその漠然としたイメージは、単行本で読むとすぐにくつがえされた。
確かこの辺は既読のはず、という部分ですら、全然違うふうに読めるのだった。
なんで私はあんなに呑気にこの話を読んでいたのだろう? これは私たちの話なのに。
この国の今の話なのに。
『なぎさ』という物語は、仕事とお金、そして自信の問題が大きなウエイトを占める。
これ以上踏み込んでいくとネタバレになりそうなのでやめておくが(というか前の一文で相当ネタバレしてしまっている気もするが)、細やかな心情描写がメインの物語では決してない、と私は思う。もちろん「心情描写」は山本先生の書く文章の一番の特徴としてこの作品の中にも見られるし、人間が主役である限りこころが主役でもあるのだが、『なぎさ』の中では、その「こころ」を立たせるための脚のようにして、「仕事」「お金」「自信」の三要素が存在しているのだ。この三つがなければ「こころ」はうまく立てない。「なければ」という言い方だと、それぞれの必要度合いがちょっと違うからおかしく感じられるかもしれないけれど、この三つがバランスを崩したために立てない「こころ」が、今の日本に無数に、ものすごい密度で存在していることは、疑いようのないことではないだろうか。
他人事のように書いたが、私は六年前か七年前くらいにきっと、そのバランスを崩して立てなくなった人間のひとりだ。
何もそこで転ばなくてよくない? というくらい、私の身は「淵」から遠かったかもしれない。でも、もう、変な金の流れが見えるだけで、気分が悪かった。搾取する側になるかされる側になるか。それは極端な言い方かもしれないが、搾取「する」側に寄った立場につくのか、それに寄らずゆったりと「される」ほうへ流れていくのか……。それくらいの選択はきっと今国内にいるすべての人間に迫られることだ、と感じ、その理不尽さで毎日イライラしていた。そのいらだちはどこへたどり着くでもなく自分の思考をむしばんで、結果的に私は仕事をすべて投げることになった。
一個人として、仕事をするのがもう無理になったのもあるが、もうひとつ。私はそんな世の中に対して言えることが何もなくなったのだと思う。少なくとも、自分の目に映る「世の中」に対して。
うちら、つらいね? つらい時代に生まれちゃったね? そんなのメッセージじゃないし、それを言って「お金」になどならないことはそれこそわかりきっている。言ってどうにかなることなんてなにもない。
『なぎさ』を最後まで読んで泣いたのは、私が見ていた「つらい時代」とまったく同じものがそこに描き込まれていて、なおかつそこに、「メッセージ」がきちんと存在しているからだった。
私は「つらい時代」を自分の身から、頭から、切り離すことでしか生き残ることができなかった。でもこの物語は、真正面からそれを引き受けて、ちゃんとあたたかい言葉を返してくれる。そのメッセージがなんであるのか、言うのは野暮だし、読む人によって違うかもしれないから言わないが、私にとっては、この先ずっとおまもりになるような、確固たるものだった。
器の大きい物語だ。本を閉じた後に見えるなぎさには果てがない。なぎさを淵にした水面はもちろん、「水たまり」などではなく、水平線の向こうに獰猛さを隠した、圧倒的な力を持つ海だ。
その波打ち際を、私たちはみんなで歩いていく。
自分が思いつきもしなかった(思いつく、なんて簡単なやり方でつくり出したのではないと思うけれど)このメッセージが乗った物語を、私は本当にたくさんのひとに読んで欲しい。
*
……以上、豊島による『なぎさ』レビューでした。
あねもねメンバーでは蛭田亜紗子の新刊『愛を振り込む』も
24日に発売になっています(幻冬舍刊)。
こちらは書き下ろしの連作短編集。
人生の飢餓感&葛藤にもだえる女性6人が、1枚の千円札を媒介につながっていく物語……。
って蛭田さんのブログを読みながら書いていて、実は私、
まだ実物を1話目しか読んでいないのですが
(千円札にしるしがつくところで「おぉ〜」と思った)、
全体的に蛭田節満載っぽくてこちらも楽しみです!
前回告知した柚木麻子『伊藤君 A to E』(幻冬舍)も発売中!
こちらは、文化系超ダメ男・伊藤くんを軸にした
女性たちの成長小説です。
イケメンに一銭の価値もないっていう世にも珍しい設定の小説……。
だけどイケメンを心の中で叩いてるだけのシャイBOYSが読んでも
それはそれで傷つきそうな話なので、あくまでGIRLSにおすすめ!
柚木麻子のガールズ小説好きな人は、「今作は恋愛ものっぽいから……」
と購入を見送ったりせず、チェックして下さいね!
(文責・豊島ミホ)
本日はあねもねメンバーの新刊のお知らせにやってまいりました。
この新刊紹介もブログ開始から2年以上、なんだかんだと続けてまいりましたが、
実はこの間、新刊を出していなかったメンバーがひとりいたのです。
それは……そう、山本文緒先生!
小説の新刊は、中編集の『アカペラ』以来5年ぶり
(コバルト時代の作品を改題&加筆修正した『カウントダウン』を除くと)。
新作長編小説としては、なんと15年ぶり!!
という、待望されまくりの『なぎさ』が、
10月22日に角川書店からリリースされました。
この新刊をあねもねブログでプッシュしないわけにはゆくまい……
ということで、山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』に続き、
メンバー内の数人でクロスレビューをさせていただくことになりました!
ちなみにふみおせんせいには無断です! 超〜無許可です!
無許可ですが、1番手豊島、まいります☆
*
今の日本だ。
と、どの辺から思っていただろう。単行本の『なぎさ』を読み進めていくうち、かなり序盤のほうでそう思った気がする。
私は実はこの連載の前半を、掲載誌「野性時代」で読んでいた。色々考え過ぎでナイーブで、もさっとした感じの30代主婦・冬乃と、リアルに若くてあほな(脳みそのしわが少なそうな)20代サラリーマンの川崎、ふたりの語りで進んでいく連載小説は、不穏な兆しはあるものの、わりにゆったりとした物語で、読むのに気合は要らなかった(もちろんいい意味で)。「野性時代」が届いて最初にすっと読んでしまうこともあれば、今すぐには読まなそうだからと、その部分だけページを切って残しておくこともあった。切り取った1回分の話は、時間が取れた時に読んだ。決して、先を急いて求めてしまうタイプの物語ではなかったし、山本先生がこれで何を描こうとしているのかも、すぐにはわからなかった。1回ごとに、緻密に描かれた久里浜という海辺の街に、旅するような感覚で読んでいた。
序盤、物語は日常のレールを外れない。冬乃は求職しようと思いながらもできずにいる主婦で(なにしろ本音が「ほどほどに働きたい」)夫のほか、夫の会社の若き後輩にまでふたり分の弁当を毎日つくっている。その「後輩」が、川崎。川崎は恋人と結婚するためにお笑い芸人の道を諦め、まともな会社に就職したはずなのだが、その会社は出社してもやることがなく、先輩の佐々井の釣り(堤防で糸を垂らしてやる本当の「釣り」)に付き合わされる日々。冬乃の妹で、元・結構売れた漫画家の菫が、突然夫婦の暮らすマンションに転がり込んできて、「この街でカフェをやろう!」と言い出すことである程度の展開はあるが、なにかとてもびっくりするようなことは起こらない。川崎視点の物語では、ある日急に仕事上の暗転がある。営業所長が謎の金持ちの前で土下座するのに付き合わされたことをきっかけに、理不尽な量と質の職務に身を削るはめになるのだ。ブラック企業の描写がやたらにリアルで寒気はしたが、それでもこの後そんなにひどいことにはならないだろう、という気持ちが何故かあった。
そんなにひどいことをこの人は描かないだろう。と思っていたのかもしれない。
小さなことをするかしないかの逡巡。心のひだ。人間関係のきしみと、淡い交差。
それが「山本文緒」という作家の描くもので、この小説も例外ではないだろうと、何の根拠もなく思っていたのだ。多分。
連載についていく気はあったのだが、私は「文芸あねもね」の文庫化辺りを境目に急速に文芸の世界から遠くなり、送っていただく小説雑誌の目次に目を通すのがなんとなくおっくうになってきた。どの雑誌も作家が入れ替わり、私が書いていた頃よく見た名前を見なくなったからだ。新しい作家の名前を憶えるような熱意もなかった。そんな中でも「なぎさ」のページを切り取ることはやめなかったが、未読の回がA5のファイルに溜まっていった。時間が取れたら、と思っているうちに最終回が来て、単行本の刊行も山本先生のツイッターで告知され、「もう単行本で読もう」と思った。その時もまだ、私の頭の中の「なぎさ」の全体想像図は、当然ながら変わっていなかった。
なぎさはまるで、水たまりの淵みたいな、ちいさいかわいいなぎさだった。
しかしその漠然としたイメージは、単行本で読むとすぐにくつがえされた。
確かこの辺は既読のはず、という部分ですら、全然違うふうに読めるのだった。
なんで私はあんなに呑気にこの話を読んでいたのだろう? これは私たちの話なのに。
この国の今の話なのに。
『なぎさ』という物語は、仕事とお金、そして自信の問題が大きなウエイトを占める。
これ以上踏み込んでいくとネタバレになりそうなのでやめておくが(というか前の一文で相当ネタバレしてしまっている気もするが)、細やかな心情描写がメインの物語では決してない、と私は思う。もちろん「心情描写」は山本先生の書く文章の一番の特徴としてこの作品の中にも見られるし、人間が主役である限りこころが主役でもあるのだが、『なぎさ』の中では、その「こころ」を立たせるための脚のようにして、「仕事」「お金」「自信」の三要素が存在しているのだ。この三つがなければ「こころ」はうまく立てない。「なければ」という言い方だと、それぞれの必要度合いがちょっと違うからおかしく感じられるかもしれないけれど、この三つがバランスを崩したために立てない「こころ」が、今の日本に無数に、ものすごい密度で存在していることは、疑いようのないことではないだろうか。
他人事のように書いたが、私は六年前か七年前くらいにきっと、そのバランスを崩して立てなくなった人間のひとりだ。
何もそこで転ばなくてよくない? というくらい、私の身は「淵」から遠かったかもしれない。でも、もう、変な金の流れが見えるだけで、気分が悪かった。搾取する側になるかされる側になるか。それは極端な言い方かもしれないが、搾取「する」側に寄った立場につくのか、それに寄らずゆったりと「される」ほうへ流れていくのか……。それくらいの選択はきっと今国内にいるすべての人間に迫られることだ、と感じ、その理不尽さで毎日イライラしていた。そのいらだちはどこへたどり着くでもなく自分の思考をむしばんで、結果的に私は仕事をすべて投げることになった。
一個人として、仕事をするのがもう無理になったのもあるが、もうひとつ。私はそんな世の中に対して言えることが何もなくなったのだと思う。少なくとも、自分の目に映る「世の中」に対して。
うちら、つらいね? つらい時代に生まれちゃったね? そんなのメッセージじゃないし、それを言って「お金」になどならないことはそれこそわかりきっている。言ってどうにかなることなんてなにもない。
『なぎさ』を最後まで読んで泣いたのは、私が見ていた「つらい時代」とまったく同じものがそこに描き込まれていて、なおかつそこに、「メッセージ」がきちんと存在しているからだった。
私は「つらい時代」を自分の身から、頭から、切り離すことでしか生き残ることができなかった。でもこの物語は、真正面からそれを引き受けて、ちゃんとあたたかい言葉を返してくれる。そのメッセージがなんであるのか、言うのは野暮だし、読む人によって違うかもしれないから言わないが、私にとっては、この先ずっとおまもりになるような、確固たるものだった。
器の大きい物語だ。本を閉じた後に見えるなぎさには果てがない。なぎさを淵にした水面はもちろん、「水たまり」などではなく、水平線の向こうに獰猛さを隠した、圧倒的な力を持つ海だ。
その波打ち際を、私たちはみんなで歩いていく。
自分が思いつきもしなかった(思いつく、なんて簡単なやり方でつくり出したのではないと思うけれど)このメッセージが乗った物語を、私は本当にたくさんのひとに読んで欲しい。
*
……以上、豊島による『なぎさ』レビューでした。
あねもねメンバーでは蛭田亜紗子の新刊『愛を振り込む』も
24日に発売になっています(幻冬舍刊)。
こちらは書き下ろしの連作短編集。
人生の飢餓感&葛藤にもだえる女性6人が、1枚の千円札を媒介につながっていく物語……。
って蛭田さんのブログを読みながら書いていて、実は私、
まだ実物を1話目しか読んでいないのですが
(千円札にしるしがつくところで「おぉ〜」と思った)、
全体的に蛭田節満載っぽくてこちらも楽しみです!
前回告知した柚木麻子『伊藤君 A to E』(幻冬舍)も発売中!
こちらは、文化系超ダメ男・伊藤くんを軸にした
女性たちの成長小説です。
イケメンに一銭の価値もないっていう世にも珍しい設定の小説……。
だけどイケメンを心の中で叩いてるだけのシャイBOYSが読んでも
それはそれで傷つきそうな話なので、あくまでGIRLSにおすすめ!
柚木麻子のガールズ小説好きな人は、「今作は恋愛ものっぽいから……」
と購入を見送ったりせず、チェックして下さいね!
(文責・豊島ミホ)