こちらは東日本大震災復興支援・チャリティ小説同人誌『文芸あねもね』公式ブログです。
最新情報や執筆者&内容紹介など随時更新しています。
「女による女のためのR-18文学賞」過去受賞者(+α)で
「少しでも東日本大震災被災者の力になれれば」と話し合った結果、同人誌をつくることになりました。
2011年7月15日より2012年2月24日まで、電子書籍サイト・パブーにて電子書籍版を販売、
その後紙の書籍として新潮文庫に入る運びとなりました。
現在、朗読プロジェクト「文芸あねもねR」も進行中!
【執筆者一覧】
彩瀬まる・豊島ミホ・蛭田亜紗子・三日月拓・南綾子・宮木あや子
山内マリコ・山本文緒・柚木麻子・吉川トリコ(五十音順/敬称略)
■イラストレーション/さやか ■デザイン/山口由美子
※参加者の詳細は「プロフィール欄」をお読みください。
※この企画の成り立ちについては「はじめに」をお読みください。
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山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』レビュー
2012.08.26 Sunday | category:あねもね作家の新刊紹介
またもご無沙汰しております、文芸あねもねブログです。
前回は7月に打ち上げ(※100%私費による)のご報告をいたしましたが、
みなさん読んで下さいましたでしょうか……。
前の記事の末尾で触れた「8月のうれしいお知らせ」、
とうとう解禁する日がやってまいりました。
あねもねの秘蔵っ子、山内マリコの1冊目の単行本が出ます!
というか、出ております!
その名も『ここは退屈迎えに来て』。
帯にはわれらが文芸あねもねの顧問・山本文緒さんがコメントを寄せています。
「ありそうでなかった、まったく新しい“地方ガール”小説です。」
(「地方」に「ローカル」とルビあり)
あねもねブログでは、僭越ながらわたくし豊島ミホが、
この、ローカル・ガール短篇集をご紹介させていただきます。
*
主な舞台となるのはニッポンの地方都市。
どことは明示されない。雑誌にかぶれて育った文化系人間の憧れの都市は東京で、でも就職先としては名古屋や大阪が選択肢として有り得るような地方らしい。美しい自然とかはどこにも出てこなくて、あるのは「ファスト風土」化した、チェーン店のドでかい看板が並ぶ国道沿いの景色。市街地の廃れたアーケード、毛筆のへんなポエムが壁いっぱいに貼られたラーメン屋、かつてのスーパーをろくに改装もせず営業している古びたゲームセンター……がさらに古びてしまった廃屋。スタバがあり、駅ビルには「ローリーズファーム」や「ロペピクニック」なんかも入っていることから、過疎というほど人がいない街ではないのがわかるが(私の故郷・秋田県で言ったら、この規模の都市は秋田市しかない)、その街独特の文化があるでもなく、物語の語り手の女の子たちは誰ひとり、郷土を愛していない。そもそも平成の世に於いて、「郷土」なんてものはもう幻なのかもしれない。人口三十万クラスの地方の県庁所在地は、どこも入れ替え可能であるような顔をしている。
そんな単一の都市で語られる物語の、最初の語り手は、東京から出戻った三十歳の女だ。震災で心細くなり東京を離れたという事実から、その時点が二〇一一年なのがわかる。彼女(名前は作中に出てこない)は東京という生活拠点を我が身から切り離し、もはや「ここ」で生きていくしかないはずだが、「気分的には、長い帰省をしている感じ」で、地方の生活には馴染んでいない。
そんな中、最初の再会相手として選ぶのが、高校三年の同級生だった男「椎名一樹」である(元・親友のサツキちゃんと会うにあたっての賑やかしとして選ぶのであって、一対一で会うのではないのだが)。椎名は、語り手の彼女とサツキちゃんふたりにとって、スペシャルな存在だった。この短篇のタイトル「私たちがすごかった栄光の話」の「栄光」は、高校三年の終わり、彼女らがふとした拍子に椎名と過ごした時間のことを指している。恋していたわけではない。憧れともちょっと違う。でも「また椎名と遊びたいなぁ」と思わせる何かが、当時の椎名にはあったのだ。
しかし再会した椎名は「お父さん」になっている。具体的な描写は本文を読んで欲しいが、「お父さん」になっている異性の同級生は、見るとわかる。一度見ると「お父さんだ」としか思えない。私も二十七歳から二十九歳の出戻り田舎生活中に、偶然既婚の同級生男子に会ったことがあるが、その人も「お父さん」だった。地方の生活に立派に馴染み居場所をつくった男は、脳内で、故郷に戻ってきたのにその生活に染まり切れない自分とは別の場所に仕分けされる。
この一話目から、物語は、椎名というひとりの男を線として、過去の方向へとさかのぼっていく。
さかのぼる、と書いたが、遡上するような抵抗感はない。ぜひ読んで実感して欲しいのだが、山内マリコの文章はよく頭の整理された監督が撮った外国映画のようで、読んでいて気持ちがいい。作中に(地方の生活には欠かせない)車がよく登場するせいもあるだろうが、この短篇集全体に、ドライブのような空気の流れがある。
二話目の主人公は、二十五歳と二十七歳の女の子ふたり(ここに登場する時、椎名は二十七歳)。三話目は二十五歳。次が二十三歳、大学生(多分二十歳)、上京したての女の子(十九から二十歳になる。椎名はこの話でのみ、主人公より年上である)、高校生、十六歳――。女の子たちはどんどん若くなって、無敵になっていく。そして背景に、色んな子たちから憧れられる椎名がいる(『文芸あねもね』の出だしを飾った「アメリカ人とリセエンヌ」も、この一連の話に加わっている。この話での椎名は、若さゆえにちょっと冒険しすぎて失敗したって感じだ。)
この物語がもしも時の流れに沿って並べられていたら、それはただの淋しい失墜の話だと思う。女子高生というだけで無敵だった女の子たちは、夢を見て東京へ旅立ち、何事もなさぬまま田舎へ帰り、姑と小姑にいびられる主婦になるかもしくはいつまでも地元の空気になじめない独身者になるかを選択する。みんなのヒーローだった椎名も、一度は都会へ旅立つがふらふら遊んだだけで帰ってきてしまうほか、小さな挫折(前向きにとらえるならば「試練」)を経て、普通の「お父さん」になる。昔はもう少しだけ活気があった街は、何の個性もなくしてたたずんでいる。淋しい街の、淋しい話。
しかし時系列と逆に並べられたこの物語は、光へ向かって進んでいく。今はもうない光へと。
淋しさと憧れは一枚の紙の表と裏のようなものだ。憧れがあったから淋しさがあるし、淋しさがないようなところにはきっと憧れもたいしてなかったのだろう。
この物語は、私たち地方出身者の生活を、人生を、「憧れ」のほうを表面にしてくるんとラッピングしたものであるように、私には思える(私の中で、「憧れ」は少し大人びたピンク色に、「淋しさ」は濃いエメラルドグリーンに、なんとなく視覚化される)。そのラッピングは、山内マリコの筆力や独自の雰囲気もあって、ラフだけどとびきりおしゃれだ。
ここまで舞台や構成のことにさんざん触れてきてなんだが、山内マリコの小説のいちばんの魅力は、おしゃれなことだ。
マリコの小説には、インテリアもしくはアクセサリーとして女の子の部屋に置かれるにふさわしい魅力がある。装丁じゃなく内容の話だ。どんなにおしゃれな装丁でも、おしゃれアイテムとしては成立しない小説もあるいっぽうで、マリコの小説は、言葉の羅列だけで(本としてのパッケージがなくても)女の子が欲しいと思う何かとして成立する……ように思える。この短篇集は、冴えない地方都市の、冴えない話が並んでいるのに、とてもクールなのだ。
願わくばそのクールさが光るほうへ、誰かにマリコを引っぱっていって欲しい。
この本の折り返し部分にある著者プロフィールには、「……本を出せない不遇の時代が続き、みんなに心配される。」と書いてあるが、心配していた「みんな」のうちのひとりは私で、なおかつ私は今も少し、山内さんの不遇の時代が終わらなかったらどうしようと心配している。
このクールな小説も、然るべき人に見つけてもらわなければ――従来の一般文芸の枠に押し込められた上で解釈されるならば――ちょっと目先の変わった、そして若い女の子によるキレのいい文章で編まれた小説、くらいの評価をつけられただけで終わってしまうかもしれない。そうなるべきではない。山本先生が帯に寄せたコメント「ありそうでなかった、まったく新しい」というのは、この小説の魅力を最短距離で表しているのだ。
新しいものに鼻のきく女の子たち、男の子たちに、この小説を見つけて欲しい。そして自分の家の本棚に、まだみんなが知らないスペシャルなアイテムとして、鎮座させて欲しい。
*
……以上、豊島による『ここは退屈迎えに来て』レビューでした!
実は今作が、「文芸あねもね」執筆メンバーのデビュー作としては最後になります。
最後まで秘蔵っ子だったマリコのデビュー作は、後日
また別のメンバーがもうひと推しする予定ですので、
そちらもよろしくお願いします!
(文責・豊島ミホ)