こちらは東日本大震災復興支援・チャリティ小説同人誌『文芸あねもね』公式ブログです。
最新情報や執筆者&内容紹介など随時更新しています。
「女による女のためのR-18文学賞」過去受賞者(+α)で
「少しでも東日本大震災被災者の力になれれば」と話し合った結果、同人誌をつくることになりました。
2011年7月15日より2012年2月24日まで、電子書籍サイト・パブーにて電子書籍版を販売、
その後紙の書籍として新潮文庫に入る運びとなりました。
現在、朗読プロジェクト「文芸あねもねR」も進行中!
【執筆者一覧】
彩瀬まる・豊島ミホ・蛭田亜紗子・三日月拓・南綾子・宮木あや子
山内マリコ・山本文緒・柚木麻子・吉川トリコ(五十音順/敬称略)
■イラストレーション/さやか ■デザイン/山口由美子
※参加者の詳細は「プロフィール欄」をお読みください。
※この企画の成り立ちについては「はじめに」をお読みください。
観てきました、花宵道中
2014.11.21 Friday | category:あねもね作家のその他お知らせ
寒いですね。ご無沙汰しております。文芸あねもねR(朗読)、
ただいま次回作の公開準備中です。もうしばらくお待ちください。
以下は公開までの箸休め的にごらんいただければと思います。
メンバーの宮木あや子のデビュー作『花宵道中』が映画化され現在公開中です。
自費で観に行った柚木麻子が自発的にレビューを書いてくれました。
この記事アップしてるの私(宮木)なんですが、普通に感心してしまいました。
迷ってる方は是非参考にしてください。観に行きたくなる!はず!
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目を見張るくらいに艶やか、ドラマチックで、悲劇的。昔から、遊女の物語は映画と相性が良い。
有名なところでは、豪華絢爛でスタイリッシュな蜷川実花監督「さくらん」、女達の業をむせかえるほどエロティックに描いた五社英雄監督「吉原炎上」などがあげられるが、「花宵道中」はそのどちらの系譜にもあてはまらないと思う。主役を演じた安達祐実さんの美しいヌードばかりが取り沙汰されているけれど、この作品はすべての女の子のための映画だと思う。理不尽に抑圧された女の子が、どうにか正気を保ちながら知恵をつくしてサバイブし、魂の充実を得るまでを描いた、普遍的な闘いの物語である。安達さんと同じく子役出身であるナタリー・ポートマンが、周囲のプレッシャーに押しつぶされそうなバレリーナの狂気と爆発を演じ、自らの殻を打ちやぶった「ブラック・スワン」と、重なる部分をいくつか発見した。
原作「花宵道中」はそれぞれ違う遊女をヒロインにした六編の連作短編集だ。あの驚くほど緻密に張りめぐらされている伏線や複雑な人間関係を二時間以内で描けるのか、と宮木あや子ファンとしては、つい目を尖らせてしまったのだが、豊島圭介監督は表題作をベースに、残りの五編からエッセンスと情報をたくみに抽出し、朝霧を中心にした物語を織物のように紡いでみせた。映画内では描かれていない各人物の裏設定を思い浮かべながら鑑賞してみても、無理なく言動が重なり、整合性が保たれているのは見事である。この映画から入った人が初めて原作を手にとっても、印象そのままにより深く楽しめるはずだ。「マジすか学園」「殺しの女王蜂」の生みの親だけあり、監督が女のコミュ二ティや連帯感に向ける視線はフェアで、温かい。
華奢で小柄で儚げ、控えめな物腰なのに不思議と男の心をとらえて離さない朝霧役に安達祐実さんはこれ以上ないほどぴったりだろう。本人もそう発言しているように、二歳から活動している安達さんと朝霧の生き様には重なる部もある。すべてを受け入れ、期待に応えるために自我を消し、プロに徹す。ゆえに、ごっそりと抜け落ちた本当の意味での少女時代。諦念さえ漂う穏やかな表情が、時折絶望にゆがみ、阿修羅に豹変する様は痛ましいが、同時に自分の手で人生を取り戻そうとする力強さも感じられる。今、この役を彼女が演じてくれたことを、心から有り難いと思った。
極悪非道の吉田屋藤衛門を演じるのはR-18文学賞映像化作品御用達俳優にして日本のアラン・カミング、津田寛治さんである。おびえる安達祐実さんの小さな肩越しから白粉で汚れたにやけ顔を突き出す津田さんは、今年見た邦画の中で断トツのおぞましさを醸し出していた。五社英雄ファンを公言する友近さんが、あのすべてをパロディ化するセンスで場を圧してしまったらどうしようと危惧していたのだが、ビジネスライクな中にふと情を滲ませる女将を繊細に演じていて、ますます好きになってしまった。
人生を奪われ、閉じ込められた檻の中で懸命に花を咲かせるしかない女の子たち。原作に溢れていた深い同情とエールが、ここにも強く感じられていたのが嬉しかった。どんなに踏みにじられようが、生きた証を一つでも残すことが出来れば勝ち。ゆえに、薄青い夜明けの空気の中、愛する男に見守られながらの花宵道中は、文字通り朝霧の命の花道なのだ。例えささやかでも、自分が自分であることを実感できる一瞬。それを目撃し、価値を見出してやれるのは、やはり、ずっと寄り添ってきた同性の仲間なのである。彼女達の視線があるおかげで、悲劇のヒロインは一人の女の子として名前を取り戻すことができるのだろう。
そんな監督のメッセージが、あのラストシーンのカットには如実に表れていると思う。
(文責・柚木麻子)